2022年11月

 韓国企業のオーナーから退任後の変化した工場を見て欲しいとの話しが以前からあったし工場も見たかった。友人にも会いたい、山登りや観光の話しもしたかったのでコロナ禍ではあるが11月から観光ビザがなくなったのを機会に思い切って訪韓を決断した。

 韓国・仁川空港から空港に戻るまで全て勤務した会社で車を手配してくれたので「一人旅」といえないかもしれないが、半分は一人旅だったかも・・(^.^)/~~~。

韓国の名峰・雪岳山(ソラクサン1708m)を登山した(2013年10月) 

 韓国への航空券の手配をしようとしたら以前のような気楽さが無くなっていて私にとってややこしい課題にぶっつかった。

 観光ビザは必要ないがK-ETA(電子渡航認証)の申請や検疫のためのQーCodeへの申請などが必要になり、申請はネットのみで韓国語と英語しかない。ネットでK-ETA申請は初めてで面倒なのでの代行会社をネットで見つけて依頼した(約7千円)。

 日本への再入国にも接種証明書を保持している場は「Visit Japan Web」にファストトラック(検疫)機能でQRコードを提示して検疫を受けたがトラブルがあったりしてスマホで修正した。出入国がスマホが無ければ海外への一人旅が難しい時代になったのを知った旅でもあった。この感想はブログ「日々のつぶやき」にも書いた。
 
スマホが無ければ入出国が大変時代になっていた

 仁川空港からリムジンバスと思っていたが海外事業部の部長が空港まで出迎えてくれた。途中でメッキ会社を訪ねたのは日本のメッキ会社の顧問として支援している身なので興味があり事前に見学をお願いしてあった。この会社の社長とはハイキング仲間で親しく交流した思い出がある。

 亜鉛メッキ、クロームメッキを中心に80%は輸出しているメッキ専門会社になっていた。従業員は36名(スタッフ8名)で現場の従業員は外国人が多い、自動化も進んでいた、特に監視用カメラで設備の稼働や従業員の配置のためモニターが社長室にあった。日本以外の海外からの受注は直接輸出もあれば部品としての間接輸出もある。品質が良いから客先の方から注文がくるという。

 メッキの不良品は無いから検査員は配置していないという。日本のメッキ会社では1%前後のシミ、変色不良があり全数を外観検査している部品もあり全数良品などは信じがたい。


 社長の話がオーバーなのか、客先が日本以外の海外なので日本企業の過剰ともいえる品質の追及がないためなのか真実は不明だ。今後コロナが収まったら相互交流をしてお互いのメリットをが出せるようにしたいと感じた。夕食は近くのオイドと呼ばれる西海岸べりにある食堂で新鮮な海鮮料理をご馳走になった。

烏耳島(オイド)の海鮮料理をご馳走になった

 翌日は20年間勤務してた(株)大陸を訪問した。久しぶりに訪れた工場で金徳賢会長や従業員と再会して懐かしく胸が熱くなった。工場を見学してみると以前と比べ事務部門が一変し整然となっていた、工場では自動化が一段と進みITC(情報通信技術)の活用が進んでいたのが印象的だった。夜の歓迎会では苦労を共にした皆さんが歓迎してくれ私の健康を祝ってくれたので感激した!!

 思えば心臓病になり電機会社を55歳で途中退職し生活に不安を感じていた時に交流かあった金徳賢社長から経営している韓国企業を支援して欲しいとの強い要請があった。入院中も韓国から見舞いに来てくれたりした金社長の誠意に答えるためと生き甲斐を求めて毎月の半分を韓国に滞在し技術顧問として支援する事になったのだった。

 あれからあっという間に20年が過ぎ77歳になった5年前に退任したのだったが趣味の韓国の山を100山を登る目標があったり、ハイキングや観光などで個人での韓国旅行は続けていたがコロナ禍で3年間も空白が出来てしまっていた。

大変お世話になった金徳賢会長
 整然とした事務所

部品工場
現場リーダーのおばさんとスタッフでの歓迎会

 時間を作って近くにある法輪寺を訪問したのは「帰郷祈願碑」がどうなっているのか見たかったからである。2018年5月に訪れた時と違っていたことは碑の前面が広くしている事と日本語とハングルで書かれた説明板が無くなっていた。

 反日団体がこの碑を再度土の中に埋めた話しも聞き憤りを覚えた。案内してくれた崔さんは父親から日本人に虐められた話しを聞きながら育ったという。この碑についての過去の経緯を説明したら興味が出て案内してくれたのだ。碑の上の落ち葉を掃除してしてくれている崔さんの姿を見てもっと広く真実を一般韓国人に伝える大切さを感じた。

碑の左側の案内が無い 枯れ葉を除く崔さん

 この帰郷祈願碑は女優の黒田福美さんが反日団体と戦いながらこの寺と共に維持しながら毎年法要を続けようと努力しているのだ。

 黒田福美さんと「帰郷祈願碑」については拙ページ「帰郷祈願碑を訪ねるlにアップしてあるので参照いただければ幸いです。本堂に入りお参りしてから帰郷祈願碑に向って感謝と鎮魂の祈りを献げた。

法輪寺と帰郷祈願碑、案内してくれて真玄スンニム

 3日目は観光だががコロナが怖いので大勢集まる場所を避けて北漢山城の秋を味わる予定だったが何故か金会長の指示でソウルの歯医者に行くという。昨晩の夕食時に入れ歯の話しをしたので親しい歯科医に診てもらうことになっているようだ。この企業のオーナーが事前に私に話さず連れて行くように指示を出すのは親切の押し売りだが善意と考えて黙って従った。

 歯科院では看護婦がX線検査や歯の写真など撮って最後に歯科医が何やら話してくれた、診断結果と治療方法など後で送ってくれるようだ。この歯科医の検査機器や治療台など初めて見るのもで確かに立派な感じがした。後から送られきた治療計画では抜歯、部分入れ歯、インプラントなど来院回数が8回で費用が50万円とあったが無理な話しだと断った。オーナーの私に対する思いやりは以前からで感謝している。

ソウルの歯科院で検査して貰う
 
 北漢山城の秋を少ししか味わえなかったが昼食は韓定食、ホテルに戻ってから休憩と付近の散策してから夕食はカルビで今回の訪韓日程は終了した。

 この会社の顧問を退任してから5年も経ったがオーナーの金会長から招待され、渡航費用や食事、空港や観光などすべて配慮してくれた旅が思いがけなく出来たことに対し大変有難く感謝したい。

 旧知の人々との再会があり、新たな人との出会いもあった。韓国の文化に触れ韓国人の親切さをしみじみ感じた旅だった。八十路を歩いている身だが次の韓国のひとり旅に出掛けようと意欲が湧いた旅でもあった。

ホテルは快適で立派だった ホテルの横を流れる河
韓定食・カルビ・五層豚肉など久しぶりに食した

 
先進国になった韓国と感じた

 今回、3年ぶりに短期間だがソウルや地方を回った、ソウルから60㎞離れた龍仁市郊外にあるホテルは清潔で快適だったし道路や街の風景も激変していた。

 龍仁市郊外にある大陸会社を初めて訪れたのは1995年であった。あの時から27年経過している。当時の街は道路にゴミが沢山あり、新築中の足場にはまだ竹材を使っていたりして、日本より遅れている感じを持ったが現在は当時と比較したら雲泥の差である。人々の表情も懸命に生きる姿は同じでも何か余裕も感じられた。

 工場も立派になった

 先進国の定義は明確でないが国連貿易開発会議や先進国クラブである主要7カ国(G7)会議にも招待されたようでいろいろな指標が先進国として認められている。逆に負の指標もあるので異論があることは承知の上で私個人の肌感覚で韓国は物凄いスピードで立派な先進国になったと感じた旅であった。

 向かい側に立派なホテルが出来ていた




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