退院前のカテーテル検査の結果は内径動脈のバイパス接合部が折れ曲がっていて50%ぐらいすでに狭窄している、しかし血液は思ったより流れていてその他の検査でも問題ないとの説明があった。
最終試験で100点は取れなかったがやもうえない。今後のクオリティライフを心がける以外ないと思う。
- 運動を続ける
- 体重を増やさない(57kg)
- バランスの良い食事、1800Kcal,塩分:0.7g/日
- アルコール、ビール1本/日
- 入浴、ぬるめ(39℃〜40℃)
- ストレスの発散(これが一番重要)
7月11日、に入院し50日、手術後28日の間に大変お世話になった先生、ナースセンター、UCCの看護婦にお礼を言い午前11時に退院した。 この間の入院、手術に伴う総費用は約600万円であり自己負担分は次の通りである。
- 入院期間:50日(5月23日から7月11日)
- 総費用:690,247円(但し病院でかかった総費用は約600万円)
- 入院医療費:379,840円
- 家族付添い関係:160,407円
- お礼その他:150,000円
退院後一ヶ月間自宅で療養し、その後また子会社に勤務するようになったが、特に仕事がある訳ではない。あまり無理するなといわれても仕事が無いほど毎日が辛い事はないこれは経験しないと本人しか解らない苦しみである。なぜもう少しの配慮が出来ないのか冷静に考えてみるとよく解る・・職場は戦場である、上司から見れば挑戦目標も与えにくいし自身も体力に自信がなければ良い仕事は出来ない。となれば道は一つしか無いのでは?。
単身生活が終わり家族と一緒に暮らせるのは良かったがなんとしても東京にある子会社に1時間半かけて新幹線通勤するのは心臓手術後の私にとってつらい毎日である。しかし家族のためにも我慢しなければと思いつつ通勤はしていたが、この時から退職を真剣に考えるようになった。
10月、国際交流会の皆さんと蓼科高原に旅行(「蓼科高原の思い出」を参照下さい)する、この旅行の経験から体力に多少自信が出来た。12月末には思い切ってネパールへトレッキングに出掛けることにした。
病気に対する不安や、会社の事、仕事の事など今後の生き方に対して悩んでいたが、この蓼科高原の旅での交流で何かが吹っ切れた、36年勤務した会社を早期退社し、今までと違う生き方をしようと決心した。
韓国の友人から韓国の中小企業の指導をして欲しいとの依頼があり、これからの人生はやりがいのある仕事をしたいと考えていたので「毎月半分は日本で過ごす事」を条件に承諾したしだいである。
退院時に先生から「6年間は保証しますよ」と言われた事を時々思い出すが、もう3年間が過ぎた、この間一週間に4日以上は4Kmのウオーキングと食事には気をつけながら韓国と日本を行ったり来たりして過ごしている。
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