3回目の入院

1993年10月

 10月27日、朝6時頃出勤前のウォーキング中に胸の痛みを感じた。食事や運動など先生のアドバイス通りの生活をして来たつもりだが・・・再発したようだ。薬を飲む事や、魚を食べる、運動をする、などは対処療法であり根本解決にはなりませんと先生が話してくれた事を思い出した。

 この日はあいにく新しく赴任して来た工場長と名古屋支社に行かなければならない。工場長の新任の挨拶だが駅の階段やホテルにゆく時痛みがありその都度ニトロを舐める。周りの人に気づかれないようにニトロを舐めながら夜の会食も無事終了した。私の職場は夜の接待が多くこのままでは体が持ちそうにない・・・転属希望を出そうか迷うが工場長が新任のためなかなか言い出せず仕事は何とか続けた。
単身生活はつらい、特に朝の食事はどうしても簡単になってしまう。昨夜のお客さんとの食事で少しアルコールを飲みすぎた時の翌朝はコーヒーだけで出勤となる。


 11月8日に医大に検診に行き負荷テストの結果、11月12日再度入院することになってしまった。入院してカテーテル検査の結果、8月に削り取った直ぐ先の部分が95%狭窄していると先生から説明があり直ぐに治療を開始した。約1時間ぐらい掛けて動脈内の血の固まりをカッターで削り取り取り終了した。

 冠動脈は心臓の周りにある血管で直径が約2〜3mmと聞く、この中にカテーテルと呼ばれる細いパイプを腿の付け根から心臓まで通し、その先に付いているカッターで血管内を削り取ると言うのだがまさに神業に近い治療である。 昨日(11月17日)の血栓の削り取り作業は2時間ぐらいかかったようで途中で気持ちが悪くなった。看護婦に伝えるとすぐに注射をしてくれたためか気分が落ち着き治療が終った。痛みが無い治療であるのが救いである。

 もう3日間食事をしていないが空腹感は無い、昨夜から全く眠っていないが眠くもない、出血止めのテープでガッチリ腰を固定され身動きできない状態でCCU室から病棟に戻ると家内が待っていた。何か私に言いたそうなので何だと聞くと総務課長がお見舞いに来て工場長のメモを預かったようである。読んでみると子会社への転勤命令であった。本人に何の説明もなくなぜこんな風に一方的に!しかも入院中になぜだ!!と怒ってはみたが・・どうにもならない、考え込んでいると、家内がそばで私を気遣って涙ぐんでいた。

 無事退院となり再発の恐怖を感じながら子会社の仕事に復帰した。しかし子会社に行って驚いた、一応副本部長の肩書きはあったが特に私の仕事がある訳ではない。本人に何をさせようとして転勤させたのか?何を期待しているのか?そんなことはどうでも良い様だ!要するに減員が目的の転勤であった。

 十分働く体力がなければ会社には必要がない人間となったようである。家族との生活が出来て自宅に戻れたのは良いがポケットの中にはいつもニトログリセリンをしのばせて「片道1時間30分」かけて東京にある子会社までの新幹線通勤が始まった。

4回目の入院
心臓病に関するいろいろの本を読みましたのでまとめてみました。まず心臓病の大敵は次の三つのE(Enemy)である。

  1. Eating (食べる事)
  2. Emotion(精神的なたかぶり)
  3. Effoet(肉体的無理)
 1)塩分:10g以下/日  ・インスタントラーメン:5g/袋
                 ・味噌汁       :3g/1杯
                 ・醤油         :7.5g/ティースプーン1杯
                 ・1食はパンかjジャガイモとする、付け醤油では食べない、
                  ラーメン、ソバ、うどんの汁は半分とする。
 2)脂肪:1日600mmg以上のコレステロールの摂取をすると確実にLDLが増える
                 ・「HDL:高比重リポタンパク(40mg/1dl以上)」・・・善玉
                 ・「LDL:低比重リポタンパク(170mg/1dl以下)」・・悪玉
                 ・卵:250mg ・250gのサロインステーキ:30mg  
                 ・アルコール:25mg(ビール1本、日本酒1合、ウイスキー1杯
                 ・善玉を増やし悪玉を減らす食べ物
                  いわし、サバ、サケ、を食べる。イか、エビ、カニも良い、モツ、レバー、卵は要注意。
 3)肥満:標準体重=身長ー105  最大体重=(身長ー105)×1.1
                 ・偏食を避け、穀物、野菜、肉、魚、果物をバランスよく食べる。

 などなどいろいろ努力はしてきたが・・・・しかし子会社でも勤務している以上どうしても運動不足になる?。毎朝の6時からの通勤ではウォーキングも出来ない。

94年4月14日

 朝の出勤時に那須塩原駅の階段を上がる途中から胸が痛み出す。階段を上がったところで我慢出来ないほどの痛み有り直ぐにニトロを服用した。 次の日の朝は階段をゆっくり登ったがやはり痛みがあり歩けない。ニトロを使いやっとの事で電車に乗り込んだ、もはや疑いなく狭心症の再々発症だと思った。毎日ニトロを使いながら暗い思いで通勤し仕事は続けた。

4月17日

 日曜日の朝はなぜか5時起床、夜明けの空がとても美しい、あかね色に染まった空がだんだん明るくなり太陽が東の森かの上から顔を出した、あかね色から青みを帯びた色になり金星のの輝きがなくなると赤く大きな太陽が上がってきた。思わず手を合わせ病気克服を祈願した。

 ユン・チアン著の「ワイルド・スワン」の上下を一気に読む、中国文化大革命中のチアン一家の何とすざましい生き方かこれに比べ私はなんと小さなことに心をわずらわせているのか?

4月25日

 自治医大での検査で入院した方が良いと言われた。今度こんどこそは手術かもしれないと覚悟を決め仕事は続けながら入院日の連絡を待った。

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