発病

 私は1992年8月に労作性狭心症を発病しました。その後2年間に3回の冠動脈拡張治療(PTCA)を自治医科大学大宮診療センターにて実施しましたが完治せず、94年6月に冠動脈の3個所が再狭窄したため、心臓バイパス手術を行いました。現在まで心臓病と仲良くしながら暮らしています。

 初めて異常に気が付いたのは「鮎の友釣り」をしていた時でした。那珂川の清流に浸かりながら先ほど取れた鮎を流れの強い瀬に泳がせた瞬間、ガク、と大きな手応えがありました。これは大きいぞと引き抜きの体制を取った時、急に胸の痛みと同時に息苦しさを感じたのが始まりです。

那珂川での鮎の友釣り(1992年)

 その後は単身赴任先で出勤途中に駅の階段を上がる時、やはり同じ様な息苦しさを感じました。しばらくじっとしているとすうーと治るので最初はあまり気にしませんでした。しかし毎朝繰り返される現象が気になり会社の診療所に行きました。

 そこで初めて狭心症の疑いが有ると診断され直ぐに自治医大病院にて入院検査した結果。心臓を取り巻いている冠動脈三本の内の一本が95%狭窄している事が判明した。直ぐにフーセンと呼ばれているPTACを実施し狭窄部を広げる治療を実施しました。 治療後の説明では約30%の確率でまた再狭窄するとの説明にやな予感を感じながら退院したのを覚えています。

 動脈の血管が5%しか流れないので心臓の動きが制限を受け息苦しさを感じるとの説明になんとなく解ったが、なぜ狭窄するのか真の原因はまだ解らないらしい、ただ

  1. タバコ
  2. 高コレステロール
  3. 運動不足
  4. ストレス
  5. 遺伝的体質
 などが考えられる要因との事でした、私の場合思い当たるの因子は運動不足、とストレスぐらいかなと思いながら退院しました。

再発入院

 93年8月1日、朝5時頃手洗いに行く途中、急に胸が痛み出す!かなり痛い!持っていたニトロを舐める、痛みが止まらずもう一度舐めると少し落ち着きました。自治医大病院に電話し相談したら・・至急に近くの病院に入院するように指示されましたので救急車を呼んで市内にある日赤病院に入院しました。この病院で病状を落ち着かせて一週間後に大宮市の自治医大大宮医療センターに転院し検査後に治療した結果は次のようです。

  1. 今回100%近く狭窄している個所が新たに見つかった。この部分の固まった血液を溶かしPTAC(フーセン)を実施しその後カッターで削り取った。
  2. この時大量の造影剤を使ったので肝機能障害を避けるため昨年PTCAを行った狭窄部は手を付けられなかった。

 CCU室ではカテーテル検査用の針から血液を溶かす薬を入れられ、両腕には点滴、胸に心電計の端子とケーブルがついていました。その上に尿管まで付けたので全く身動きできず3〜4時間しか眠れません。そして翌日に昨夜からの血栓が溶解した部分にPTCAを実施しました。そのあと血栓を削り取る作業を2回、3回とやっているのが解る・・・2時間経過し先生が前回の狭窄部も治療したいが針を刺した部分の内出血もひどくなっているので今回はこれで終了しますと話してくれた。まだ完全に治療が終了した訳ではなかったようです。今回は執行猶予付きの退院であった。

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