バイパス手術

1994年5月

5月23日

 半年ぶりの自治医大の東病棟である。2日後にカテーテル検査をした結果、前回治療したところがかなり詰まっている。前回と同じ事をやってもまた詰まる可能性があり、また狭窄部が長く(約3cm)ステントといわれる金属パイプを入れるにしても二本入れる必要があり、継ぎ目の部分が再度狭窄する確立が高い、「外科、内科の合同検討会での結果としてバイパス手術が良い」との結論であると主治医の小林先生が話してくれた。

6月10日

 外科の村田先生から説明を受ける、レントゲン写真を見せながら私の場合、右冠動脈1個所、左冠動脈1個所、回旋枝二個所、計四個所狭窄している、バイパス血管は足から取った静脈を繋ぎ、回旋枝はやはり静脈を橋渡しして繋ぐ、左冠動脈1個所は今回の主要病根であり重要な冠動脈なので内胸動脈を使う予定である。

 手術の危険率は5%である、手術の承諾書に家族と親族の代表のサインをしてナースセンターに提出した。今回の事は自分の人生の中で最大の事件であり暗く重い決断をした事になる。周囲に多くの手術した人がいるせいもあるのか平常心でいられるのが不思議な感じである。 手術日の2日前になると手術に備えて全身の毛剃りと消毒、心電図検査、麻酔科の先生が麻酔の危険性についての説明と採血、その後手術室の看護婦が来て手術の内容の説明、午後にはICUの看護婦が来て集中治療室の説明があった。

 各セクションの担当者が来て次々と説明するのは患者への理解と共に患者の確認と患者の性格の調査も含んでいるようだ。

6月12日

 手術前日はなにもする事が無くベットの上でいろいろ考えた。家族の事、会社の事、友人やいままでお見舞いに来て励ましてくれた人の事、そして親戚の姉から言われた「遺言状」を妻あてに書く。ベットの上で友人や家族に手紙を書きながらもし元気になることが出来たら今までと違う人生を送りたいと強く思う。

 人生における成功とは何だろうか?自己実現の欲求が満たされているかどうかではないのか、もし幸いにして社会復帰出来たらこれからの生活は経済的収入を得るだけの為に汲々と自己犠牲を続けるよりも出来れば自己充実を遂げながら個性発揮の人生を目指す方向に進みたいと思う。

6月13日

 手術日の朝、8時前看護婦が来て肩に麻酔の予備注射をする、だんだん眠くなり、ストレッチャーに乗せられ手術室に入り、手術台に載せ替えられ点滴を付けられるまでは覚えているがその後の事は意識がなし。

 少し眠ったかなと思いながら眼を覚ます、痛みがない、声が出ない、看護婦に時間をメモで聞く、午後11時との返事、直ぐに家族が来て心配そうに覗き込んで話し掛けてくれた、手術は6時間ぐらいかかったようだが成功したらしい。

情報開示が進んでいる病院として2000年12月に読売新聞で大和成和病院が紹介されました。この病院のホームページに心臓手術に関する詳しい解説がありますので参照ください。(01年1月追加)

 体中にパイプが有るようだが寝たり、目覚めたり、で昼夜の区別がつかないが気分は良い。いつのまにか首に入っていたチューブが抜かれ、口の中に入っていたプロテクターが取れていた。声も出るようになり、この日に飲んだ水が美味しかったこの美味しさは忘れられない。


心臓バイパス手術図

今回のバイパス手術はこの図のように
三箇所の狭窄部がありこのままだと、
その先まで血液が行かなくなり呼吸困
難になるので血液のバイパス道を作り
復旧させる処置である。

このバイパスのために使用する血管は
二本は左足からもう一本は胸の奥にあ
るものを利用しました。

6月17日

 病棟に戻る気分は良いが咳が出る咳が出ると手術した部分の胸に響きこれが痛い、午後には100メートルのリハビリが始まった。

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