励ましメール

99年9月

毎年9月の誕生日近くなると手術していただいた「自治医科大学大宮医療センター」に検診に行きます、今年も斎藤先生の問診、レントゲン、心臓負荷検査の結果異常ありませんとのことで無事帰宅しました。

センターの外観は以前と変わらず、病を経験した者しか解からない安心感を与えてくれる佇まいの姿のままでした。

いままでに沢山の方々から励ましの便りをいただきました、その度に大変勇気づけられました、ここで感謝と御礼を申し上げます。



■Sさん
今年7月4日で30才になりました、日本人女性です。ホームページを今日拝見致しました。 私は、アメリカに移り住み2年目を迎えております。

そして、この国の韓国人移民の多さに驚いた時がありました。
アメリカの小さな街にも「韓国タウン」という場所があり、韓国レストランや八百屋さんのような店が並んでいます。彼らは働き者だし、すごいパワーです。

韓国の南北問題のため、アメリカも移民を受け入れてるそうです。
私は、隣の国韓国に対して、あまりにも知らない事が多かったと感じています。
よく知らなかった韓国の人達を紹介してくれていて、読みやすいし、おもしろかったです。 それでは…病にまけず頑張ってください。。


■Fさん
ホームページを見て、思わずメールを書いています。主人以外の人にメールを 出すのは初めてです。

と、いうのも、どうやら主人も貴方と同病のようなのです。五月下旬から異常を訴えていた主人が、渋々医大の循環器科に行ったのは7月の半ばでした。
最初の心電図検査では異常が見つからず、強気だった主人ですが24時間の検査で何らかの所見があったらしく、処方箋をいただいて帰りました。近所の薬局で薬をいただく際に「狭心症」の言葉を初めて聞いたらしいのです。先生からはまだ何の説明もなく、27日の運動負荷テストを待つ身ですが、頂いた5錠のニトロは主人にとっては相当のショックだったようです。
事実、13日にクスリを頂いてからというもの胸の痛みは頻繁となり、お盆休みだったにもかかわらず、体調は最悪でした。日に日に症状の重くなる様子を目の当たりにして、「この人はこれからどうなるのだろう、我が家には一体なにが起こるのだろう」と不安になるばかりでした。主人が寝てからインターネットで狭心症のことをあれこれ調べていて、柿沢さんのホームページに行き着いたというわけです。
3日後に41歳になる主人のこれからを思うと、正直に申し上げてその内容はあまりにも過酷でした。今の主人に見せる勇気はとてもありません。
けれど、心は落ち着きを取り戻しました。なぜなら、とにかく治療方法はあるのだということが分かったからです。

私も戦うんだ。主人といっしょに苦しみを受け止めていくしかない。
これからこういう事が起きるんだとわかれば、不安がってばかりいられない、今はそういう気持ちです。
この気持ちは今はまだ主人と分かち合うことができませんが、貴方に伝えたくて書きました。先の事は確かに分からないけれど、今、生き生きとしていらっしゃ姿に、心からの感謝を申し上げます。


■Kさん
頑張って下さい。 一病を持つ人は長生きすると言いますので、頑張って下さい。

■Tさん
私現在46歳、8年前バイパス手術しました。ご指摘のとうり去年心筋梗塞を起こしました。何とか命は助かりました。静脈のバイパス部分が壊死したとのこと。精神的に立ち直るのに1年かかりました。 おかげで、たばこやめることができました。何事も前向きに考えるようになりました。

■Mさん
闘病の記録にひかれてメイルします。私の場合はステント手術ですみました、が心筋が一部壊死した状態で機能が低下しています。生活も自分から制約を課しています。
ストレスがかかります、仕方がないといえばそうですが。
会社の冷酷さの部分は、味わった人でなければわからない部分でしょう。その意味が人間の心にどのように響くものなのか?
同じ人間でありながら人事部という裃を着た途端訳のわからない存在に変貌してしまう事に愕然としました。

元気な姿がHPに出ているのは誠に頼もしい限りです、ENJOYしてください。
私もこれからがんばってみようと思います、49歳を迎えるサラリーマン です。では。


■Aさん
アメリカからホームページを読ませて頂きました。最後に韓国の土を踏んだのは90年ですから、もう いろいろ変わっているのでしょうね。

韓国は並々ならぬ興味をずっと持ち続けていた国、日本の文化の源流をたくさん見出し、兄弟のような 気持ちを持っているのです。言葉はダメですが、料理は上手になりました。わたしのいるカリフォルニアは Koreanが多く、いろいろ学ぶ機会があるのです。

母は戦前、統治下の東大門小学校に通ったそうです。しかし、敗戦、引き揚げの辛い思い出のためか、ソウル にはまだ行く勇気がないようです。朝鮮王朝や現代韓国の文化を必ず評価してくれるはずの母が、戦争の傷 痕のため、扉をとざしているのは悲しいことです。

話がそれましたが、暖かい心で韓国の方々と接していらっしゃるのが、HPを通してわかりました。これからも、日々の暮らしの細かい発見、教えてください。楽しみにしております。

韓国エステだの、ショッピングだの、韓国を消費欲の対象にしか見ていない大多数の日本人のなかで、手術後のお体で韓国発展のために尽力なさっている貴方をささやかながら応援しています。

以上

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