2022年12月 |
55歳の現役時代に狭心症になり心臓バイパス手術をし、病を乗り越えて80歳代の真ん中(84歳)を生きています。 「80歳を超えたら人生で一番幸せな20年がまっている!(和田秀樹著)」という言葉があるが、幸せですかと聞かれても実感はないが歩いて来た道を振り返って「80歳代を生きる」として手記にしました。 毎日のウォーキングや時々の山歩き、趣味の「韓国語教室」、「水彩画教室」、「パソコンクラブ」などを通していろいろな年代の人々と交流しながら支えられて毎日を過ごしているが、残念なのはコロナ禍で「コーラス」がまだ再会出来ないのと「一人旅」に出掛けられないことだ! 中小企業の顧問役をしているが年齢的に退任していと申し出たが「会社としては十分役立っているので体力が続く限り是非続けて欲しい」と慰留され現在も続けている。 スマイルハウスと呼ばれている子供食堂に出掛けたり、「チャリティウォーク」にも参加するなどの支援もしている。趣味の会やボランティア活動でも交流の輪が広がり多くの人との絆が深まるのが生き甲斐になっている。
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人生の転機は心臓手術 電機会社に勤務していた28年前の1994年6月に労作性狭心症を発症し、冠動脈の3本のバイパス手術をした。幸い手術は成功し復帰したら即日に東京の販売子会社に出向となった。 、子会社では大した仕事もなくやり甲斐も生き甲斐も無くなった。悩んだ末に今までと違う生き方をしようと決心し、その年(1995)の12月に36年勤務した電機会社を55歳で早期退社してしまった。
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退院する時に主治医が話してくれた中に「クオリティオブライフ(生活の質の向上)」という言葉があった、この意味は「バランスの良い食事、適度な運動、趣味などでストレスを貯めない」という生活して「人生の質」や「生活の質」を向上させるということだった。 退職し自宅療養していたが生活費や将来の事など心の中では悶々としていた時に韓国企業の(株)大陸という会社のオーナーである金徳賢氏から韓国で療養しながら技術支援をしたくれないかと要請があった。 入院中に韓国から病院まで見舞いにに来てくれた金徳賢氏の強い要請と生き甲斐を求めて韓国行きを決断した。 韓国で学んだこと 1995年から20年間、毎月の半分を韓国に滞在した。韓国での生活は毎朝のウォーキング、野菜が多い食べ物、技術顧問としての適度な緊張感、土日の休日ではパソコンや山登りを学んだことが結果として自身の「生活の質の向上」になったような気がする。ただ韓国語の勉強をしなかったことが悔やまれる。 |
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生きて行くことが大変だった時に家族や周囲の人に助けられ健康に自信が持てるようになり韓国での生活で新しい希望が生まれた。この時受けた韓国人の恩は決して忘れられない。 生きるということは地味で単調で忍耐を要する、歳を重ねて思うことはつくづく人生は忍耐と努力を続ければ「人間万事塞翁が馬」を実感している。 |
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2022年を振り返る 課題であり悩みだった所有する里山の再生が森林経営管理制度の活用で矢板市と間伐などの管理を委託する契約を結ぶことが出来た。交流している仲間のアドバイスが無ければ出来なかった事であり来年早々には間伐と植栽が出来そうだ。
パソコンや韓国語や水彩画の学びなどにも積極的に挑戦してしてきた、ただ結果が出ていないのが残念ではあるが趣味を通した交流は生き甲斐になっている。 コロナ禍ではあるが韓国へのビザが必要なくなったので「ひとり旅」を決断した。この旅の内容は「再会の旅」としてHPに纏めた。今年一番の良かったことがこの旅であった。
命に限りがあるからこそ、今日を精一杯生きる意味がある。命に限りがあるからこそ、愛する人や親しい友人と一緒にいる時間を大切にしたい。
「それでも老いはやってくる」 老いは変化であって退化ではないという人もいるけれど、老いはやっぱり退化するのだ。知能も体力も劣化するのは仕方がないのだ。だから老化を受け入れて今の体力で生きることに集中するしかない。 幸いまだ元気で生活が出来ている、昨日と同じ今日、今日と同じ明日がくるありがたさ、平凡な日々だけど感謝の気持ちを持って生きて行きたい。信じられない速さで時が過ぎ去って行く、一度しかない人生だから楽しく生きてみよう。
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