2010年4月
 春になったら「巨済(コジェ)島」を案内すると約束していた海外営業部のアガシ(お嬢さん)との約束が実現した。そして韓国で事業しているT社長も同行したいというのでアガシ3名とハラボジ(おじいさん)2名の奇妙なグループの一泊旅行となった。旅の幹事役はコジェ島に両親が住んでいる金さんが引受けてくれたので感謝したい。

 ソウルの南部バスターミナルに朝7時に集合となっていた。当日の朝6時半にバスターミナルに到着しキンパ(韓国海苔巻き)を食べて朝食代わりとした。金さんがインターネットでの予約券で座席指定キップ(往復62,400ウオン/1名)を発券して配布してくれた。7時20発のコジェ島行きのバスは満員だったのでやはり事前の予約は必要なようだ。

 バスは高速道路1号線で南下し大田市で35号線に入ってしばらく走り徳裕山(トギュサン)休憩所でトイレ休憩となった。全員がバスを降りて手洗い、コーピータイムをとってバスに戻った。案内があった10時25分になっても運転手が戻ってこない・・・結局バスは5分遅れで出発した。
 
南部バスターミナル 早朝でもターミナル内部は人だかり
釜山に近いコジェ島(クリックでコジェ島地図) コジェ島のバスターミナル
 
 昨日までの雨はあがり気持ちの良い天気となり乗客のほとんどは席を倒して寝ている。バスは高速道路を降りてしばらく走ると橋で結ばれている韓国で二番目に大きいコジェ島に入った。この島は大宇造船、三星造船などの大きな造船所が車窓から眺められた、ここは造船の島でもあるのだ。予定時間通り11時50分にコジェ島の中心部にあるバスターミナルに到着した。

 バスを降りると金さんのお母さんが出迎えてくれた。すぐにタクシーでレンタカー屋に行き現代自動車製の2000ccのソナタ車を借りた、費用は2日間で150,000ウオンであった。
 
 
 お母さんの案内で昼食のための食堂に向かう。この島は人口22万で都市化が進んでいる、中心地は田舎町の雰囲気は無く造船所で働く外国人も多く活気のある町のである。

 椿やツツジが咲く春の海岸べりの道路を行くと釜山から通じる道路の建設が見えた、来年には完成するようだ。

金 泳三元韓国大統領の生家だという家を右にみて山間の道を右に折れると小さな港に一軒だけポツンとある食堂があった。

 ここが地元の人しか知らない今が旬のミョルチ(カタクチイワシ)を食べさせてくれる食堂だった。 

 春のミョルチは脂が乗っていて、非常においしいという。カタクチイワシは網にかかったらすぐに死んでしまうのでこれの刺身(ミョルチフェ)は浜辺でないと食べられない。まさに地域限定品である。            



 ミョルチにセリ、キャベツ、たまねぎ、キュウリ、にんじん、ゴマの葉などの野菜をチョジャンで和える。チョジャンとは韓国酢味噌「チョジャン」=(コチュジャンに酢・みりん・ニンニクなどでブレンド)程よい辛さとほんの少しの甘さ、そして酢の酸味が効いた和え物は、まるでミョルチと野菜が、チョジャンという韓国酢味噌に合わせて、口の中で絶妙に混ざり合いダンスする感じなのだ。

 日本人だからと言って特別に辛くないミョルチの刺身も提供してくれた。

今回の食事代はすべておかんさんが支払ってくれた、固辞したが歓迎の意味もありそうなので・・恐縮してしまった。

クリックで旅のスライドショーです

              金 泳三元韓国大統領の生家は整備再建されていた            
 
 この日の観光はウェド(外島)観光だったが満員で明日の朝便しかないという仕方がないので夕食までの間モンドル(玉砂利)海岸に行く。ここで大きなオートバイに乗ったおじさんにに会う、メーカーを聞くと米国製のS&Sで価格は8千万ウオンを聞きもしない事まで教えてくれた。韓国もお金持ちのマニアが多くなっている。

 宿に帰る途中で夕食の材料を買いたいという。道を大きく右折して「グ・ジョ・ラ海水浴場」という海岸に降りると・・・道端で魚介類を販売しているアジュマの店に立ち寄った。ここも金さんのお母さんからの情報らしい、明るく元気の良いアジュマが硬いホヤの殻を半分に切って焼酎を注ぎ飲んでみろと薦められた。アカダイ、ホヤ、アワビ、などさばいてもらった。その後にコンビニでビール、焼酎、つまみなど買い込んで夕食での酒盛りを準備し、メウンタンのためのコンビニご飯も買った。

部屋に戻って早速夕食となったがビール・焼酎を飲みながらワイワイガヤガヤと楽しく過ごした。最後にメウンタンはしっかり食べたが少し飲みすぎてしまった・・・翌朝は目が真っ赤になっていたので少々反省!!。
風の丘と呼ばれている 話をしながら刺身を・・危ないなぁ〜

 翌日はラーメンの朝食を簡単に済ませて6時半のウェド(外島)観光の船に乗る、この日はこの時刻以外は予約で満員のようでやっと金さんがキップを入手してくれたのだ。

 外島へ直接行くのなら10分だが途中で「ヘグムガン(海金剛)」という海に突き出した奇岩の観光であった。岩の間を通り抜けるのかと思うほど近づいて中へと入っていく。両側にそびえ立つ切り立った岩肌に取り囲まれているので、なんとも壮観であった。観客が歓声と共に写真のシャッターを切っていた。

 ウェド(外島)には遊覧船が各地から来ているようで既に3隻が上陸を待っている。この島は個人の所有で一人8000ウオンの入場料が遊覧船代に含まれている。韓国人の30%がこの島を訪問している人気の島である。

 バッチを付けて1時間半後に必ずこの船に戻って来てくださいと注意され島に上がった。小さな島全体が南国情緒豊があふれたヨーロッパ風の庭園になっている。70名の係員が管理しているようで島の頂上にある庭園はイングリッシュガーデンのようでに手入れが行き届いていた。ちょうどチューリップが美しく咲き誇り春のそよ風がその面を撫ぜながらゆっくりとその香りを運んでくれていた。

 日本人観光客は見当たらなかったが韓国ドラマ「冬のソナタ」の最後のシーンが撮影された島なので「冬のソナタの聖地」にもなっているようだ。夕焼けをバックにペ・ヨンジュンとチェ・ジウが抱き合うシーンが撮影された建物もあった。

 一時間半の滞在時間は瞬く間に過ぎて港に着くと沖待ちしている遊覧船もあり順番に三隻づつ入港させて乗り降りさせている。李昌浩(故人)・崔浩淑夫妻が30年前から不毛の岩の島(右写真)を地上の楽園に開発したと島の歴史が記載されていた。

ウェド(外島)観光の途中で海金剛観光
ウェド(外島)は小さな個人所用の美しい島だった

 コジェ島に戻り南端にある風光明媚なシン・ソン・デ(神仙台)という観光名所をたずねた。突き出した岩場までは降りず菜の花で覆われた丘陵の向こうに松がある海岸風景にしばらく見とれていた。風の丘のと呼ばれている場所が隣り合っていたが今日は無風で風車も停止していたのが遥か向うの丘の上に見えた。ひっきりなしに訪れる車でごった返しているが運転手の譲り合いの心でなんとか治まっているようだった。

 旅の最後の食事はお母さんに教わった海鮮物の昼食場所を探したが・・・結局紹介された食堂が見つからず「テグタン(たら鍋)」となった・・・残念だった!!。

三人のアガシと菜の花の香りが一杯の中で・・・
 中心地にあるコジェ・ポロスヨンソ(巨済捕虜収容所)を見学することになったが帰りのバスの時間が迫っていたので収容所内部までは入らず外部から雰囲気を感じ、お土産屋を覗いたりで旅は終了時間となった。

 余談になるがこの捕虜収容所は朝鮮戦争当時に最大で17万人(中共軍2万人、北朝鮮軍15万人)の戦争捕虜を収容していた。1997年に朝鮮戦争を記憶し続けようという趣旨で巨済捕虜収容公園として造成され、戦争に使われた戦車やトラック、当時の捕虜の生活を再現したジオラマの展示物などがあります。捕虜となっても北朝鮮に忠誠を誓う「親共派」と、自ら進んで降伏した「反共派」との間の捕虜の対立は暴動までエスカレートた歴史展示物もある。

 ソウル・南部ターミナル行きのバスは予定時間通り午後3時半発に出発した、また4時間半で今回の旅は終了した。

 毎日を旅の連続とすれば人生は旅である。今回の旅も新たな出会いがあり新たな発見があった。これからもこのような韓国の旅を続けたいと思う。


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