2006年8月

 心臓のバイパス手術してから12年経過しましたので多少の異常が出てきたようで検査入院しました。その時の日記帳です。
 
7月4日(火)
 定期健診で「マスターの負荷心電図」という2段の階段を上がったり下がったりして脈拍が上昇した時の心電図の波形変化を見る検査をしました。心電図を見た先生が「波形にチョット異常が あるので心臓のCT検査をやりましょう」ということになり「心臓のCT検査」を実施しました。

7月11日(水)
 CT検査の結果を聞きに病院に行った。主治医の先生がパソコン上に鮮明な心臓の3次元画像を回転させながら説明してくれました。

 「こちらと、こちらは良く流れています。しかし真ん中のここにもバイパスした血管があるはずですが見えませんね・・・多分2本の血流がよく流れているので自覚症状がないのかもしれません」という診断でした。

確かにバイパスした目印のところには血管が映っていない。

 「CT画像では詳細な血流は解らないので、バイパス手術後10年以上経過していることもあり心臓カテーテル検査をして対処方法を考えた方が良と思います」と勧められた。

 心臓カテーテル検査は入院しての検査となるが、拒否する理由もない・・2004年に実施した 「心筋シンチグラフィ」という検査でも「血管が1本狭窄しているようだという話しがありましたが自覚症状がないのでそのままでなっていた経緯もあります。結局、入院してカテーテル検査をすることになりました。

8月21日(月)
 11年前にバイパス手術した「自治医大・大宮医療センター」に入院の日。思えば今まで健康で過ごすことが出来たのもこの病院の治療結果であり感謝しています。

 病棟も病室も思い出に残っている、ある意味ではなつかしい。看護婦や機材は全て変わっていたのはまあ当然である。看護士が来てIDナンバーが書いてある腕輪に自分の苗字氏名を書き入れると腕に巻いてパチンと止めるともう取れない、風呂に入っても消えないようになっている。
軍隊などで使う認識票と同じだなと思う、ミス防止のための本人確認であろう。

 病室に案内されてパジャマに着替え、洗面道具を整理するともうやることは無くなってしまった。4人部屋で2つのベットが空いていた。一人はTさん、74歳で心筋梗塞で入院したが腸閉塞を併発したようで奥さんが心配そうに付いていた。もう一人は65歳のSさん、心筋梗塞で入院し治療が終わって明日退院するようだ。

 午後になり主治医のI先生が来て既に提出した自己申告書の中身の確認をし、今後の検査の予定を説明してくれた。そして血液検査、X線検査、心電図検査が終わり、カテーテル検査を待つだけとなった。

 9時に消灯となっている。全く眠くないがベットに横になり目を閉じていると、いつの間にか寝てしまった。

 

8月23日(水)
   主治医の先生が病室に来て「狭心症や心筋梗塞で緊急に検査・治療する患者が多くて検査が来週になってしまいそうです」との話だった。

8月25日(金)

 トレッドミル検査を行った。心電図の端子を付けてコンベアーの上を歩いたり、走ったりする検査である。
最初はゆっくりだったがコンベアーのスピードが一段と上がった。もう早足でないと付いて行けない、 「異常は無いですか?」「無いです」・・「もう少しスピートが上がります」コンベアーが前傾してきたら ギヤーチェンジしたごとくグンとスピードアップ、もう小走りに近く足を出さないと付いて行なくなった。

 しばらくしてモニターを見ながら先生が「終わります」という声と共にガク!とスピードが落ちた。 汗を拭きながら聞いてみたら「脈拍が150ぐらい」になるまでテストしたらしい、心電図には異常は 出ていないという話しでした。トレッドミル検査はこれで無事終了した、あれだけ心臓に負荷をかけても 異常が無かったということは安心して良いのだろう。

8月28日(月)




 1時半ごろ看護婦が迎えに来た、手術用のガウンを着てT字体をつけて帽子をかぶってストレッチャーと一緒に歩いて造影検査室まで行く。点滴をしたあと検査室の踏み段から細長い検査用台に仰向けに寝た。
・・その後はもう先生に任せる以外ない、裸にされたと思ったら看護婦が消毒液を下半身の全てに塗ったあとに、青いカバーをかけられた。いよいよ腿の付け根からカテーテルを心臓まで入れるための作業が始まった。「麻酔をしますからチクとしますよ」と先生、チクともしないうちに終わりその後はカテーテルを心臓まで通す作業をしているらしい、緊張しているが痛さは感じない。

 上部と左右にあるX線撮影機が上下左右、回転とめまぐるしく動く、先生が何やら話し合っているが意味不明、しばらくすると「造影剤を入れますから背中が熱くなりますよ、心配ないですからね」という声があり、確かに首筋から下半身にかけてジワ〜と熱くなった。最後に「良く流れているね」という話しが聞えた、これで検査は終了したようだ。以外に短時間で終了した。

 ストレッチャーに乗せられて腿の付け根の動脈に穴を開けたところを止血のためしばらくは先生が抑えてくれた。
その後に傷口に当て木をしてガムテープでグルグルと固定された。病室に戻って仰向けの状態で6時間は動けない。

 ベットの上で問題が出た、仰向けの状態では排尿が出来ないのだ、尿意はあるのにどう努力しても出ない、だんだん尿意が高くなり苦しくなった。ナースコールで呼んだ看護婦に「何とかしてして・・」と話すと、若い女医を連れて来た。女医さんは膀胱まで管を入れるという、ここまで来るともうプライドや羞恥心など全く無くなり、早く楽になりたい一心である。

 ところがこの若い女医さんは管の入れ方が不慣れなのかなかなか入らない、2回目も入らないので他の先生を呼びに行ってしまった。男の先生が来るまでの間、途中まで入った管を持たされている看護婦と前をはだけて苦しんでいる患者の姿は滑稽であった。固定状態から開放されたのは午後の10時をすぎていた。

 

8月29日(火)

 主治医のT先生から検査結果の話しがあった。前日に付き添いに来ていた家内にも説明した内容だが結論は「バイパス3本の内、1本は狭窄しているが他の2本の血流が良く、狭窄している部分も 2本がカバーしているので今後の生活は問題ありません。むろん山登りも大丈夫です」ということになった。

良かったが・・・その後が大変だった。排尿時に激痛が走ってなかなか排尿できない、先生に聞くと 「尿道に傷がついたかもしれないので我慢してでも排泄してください、だんだん痛みはなくなります」 と言われた。まったくあの女医さんが恨めしい。

8月30日(水)

 今日も排尿時にはまだ痛さが残るが少し和らいだ、これで退院しても問題なさそうである。
入院費(15万円)を支払ってクスリや紹介状を貰って退院し午後に自宅に戻った。入院費用は 高額医療費申請もあるので命の安心料と考えれば高いとは思えない。

 今回の入院で感じたことが一つある、科学や医学が進歩してその恩恵に浴しながら私も生きている。
これはありがたいことである。快適な生活が出来るように科学が解決してくれる。
ありがたいことであるが・・その代わりに今の日本人は苦しいことに対する精神的耐性が 非常に弱くなっているような気がする、苦しみを耐えることが出来ない若者が多くなっていることに 暗澹たる思いがある。病室のTVでショッキングなニュースが多いことを見ながら感じたことだった。

 多くの知人、友人から気遣う電話と励ましの言葉私を支えてくださった多くの人々に、本当に感謝しています。「生かされている命」を大切にしたいと思う。

 


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