間質性肺炎の一年間
 
2023年12月

間質性肺炎を発症!

 那須の地にも春が近づいた2月の初旬に突然咳が出始めた。連続して強い空咳が続ので異常を感じたので「かり付け医院」に行き診察してもらった。肺のX線写真を見た先生がすぐに那須赤十字病院で診てもらうように手配してくれた。

 那須赤十字病院の呼吸器科で血液検査、CT検査などした結果、呼吸器科の先生から「間質性肺炎を発症していますね」と宣告された。

雪が少ない那須連峰

 呼吸器科の先生から、この病気は原因が不明で治療薬は無いという説明でビックリした。当面は咳を止める、痰を切る薬を飲むことのなった。毎日食後3回一週間ぐらい飲んでいると熱も無く咳も痰も出なくなり食欲もあるので治ったかなと思ったが一時的な症状だった。
間質性肺炎を発症している 肺CT検査画像(フリー画像から転用) 
 間質性肺炎とは(NHKの健康ページ内容の要約)

 肺にある気管支には枝分かれして「肺胞」という袋状の組織につながっている。この肺胞の壁のことを「間質」といい、間質性肺炎はこの間質に炎症が起ることである。間質が炎症や線維化で厚くなると、酸素がうまく入っていけなくなり肺機能が悪化して空気を十分に吸い込めなくなる。そうなると酸素呼吸器が必要になる。
 
 
  
 
空咳で苦しむ

 3月の初旬から断続的にまた咳が出るようになった。咳が続くと息苦しくなり体力も使うのでコーラスなどの趣味の活動は欠席することにした。自宅に籠って静かにしていても話しをするとそれがキッカケで咳が出始める。この咳が続くので無言で過ごしたが夜中に出る咳にはどうにもならず苦しい毎日だった。結局コーラスの会は事情を話して退会した。


 この時期にマスコミ報道で芸能人の上岡龍太郎氏が5月19日に81歳で肺がんと間質性肺炎のため亡くなったと出た。美空ひばりも同じ間質性肺炎だったと記事にあった。

 間質性肺炎を発症して半年近く経ったことになる、同じ間質性肺炎を患って半年で亡くなられたとなると、中穏やかではないが、同じ病名でも60歳代で発病し30年も生きている人も居るようなので個人差があるようだ。

 私の方は毎月の検診と処方された薬を飲み続けていると通常の生活に戻ったような感じで、気が付けば咳も少なくなった。しかし毎朝一度の咳がキッカケで少量の痰がでるのが気になった。
 
医療費助成の申請(6月)


 発病の原因が明らかでなく、治療方法が確立していない希少な疾病について厚生労働大臣が定める疾病を「指定難病」として治療に係る医療費が一定の認定基準を満たしていると助成される制度があるようだ。「間質性肺炎」も数百件ある中の一つで指定難病になっている。治療費が高額になるため主治医から医療費助成の申請をするように勧めら申請した。

 主治医が書いてくれた書類と血液検査、CT検査などのデーターが入っていると思われるCDを受け取り栃木県庁那須庁舎の県北健康福祉センターに提出した。
 
申請は不承認となった

 申請して2か月後に栃木県知事名で「特定医療費」の申請は認定されなかったという通知書を受け取った。理由として、「指定難病」の基準は満たしているが、重症度「1」と診断されており重症度分類に照らして重症度「Ⅲ以上」でないので不承認となった。

 簡単に考えればまだ軽い症状なので医療費助成の必要はないということだ。考えようによっては症状が重症化して医療費が高騰するより不承認となったことは軽症だから良かったのだと考えることにした。
 

咳が無くなり病状が良くなった

 8月頃から痰も朝の痰も出なくなった。12月7日に循環器内科と呼吸器科の診察を受けた。血液検査、心電図、CT検査のデターを眺めていた呼吸器科の先生の話は、「間質性肺炎の病状は落ち着いているからあまり心配しないで今の生活を続けてください」となった。

 循環器内科の先生も検査結果から心臓関係では異常は無かった。間質性肺炎も悪化してないのでひとまず安心した。

 間質性肺炎の診断マーカーとして「KL-6」という数値が使われている。基準値は500U/H未満になれば一般的とあった。私の「KL-6」数値の推移を眺めると確実に下がっている。病気が快復に向っているのかと言うと、そうではなくたまたま落ち着いていると解釈した方が良いらしい。

 発症当時の2月は2000/H、4月は1162/H、5月は1104/H、6月は984/H、8月は751/H、12月7日 は636/Hであったので症状は良くなっていると勝手に考えている。.

毎日7,000歩のウォーキング( 自撮り12月29日)
 
 1週間分をカップに分割 (循環器科と呼吸器科の計6種類の薬を毎日飲む)
 
 心臓冠動脈の3本のバイパス手術をしてから29年経った。難病と言われている間質性肺炎も発症し10ヶ月経過している。いつまで続くか不安もあるが、幸い元気で暮らしていられるのは病院の先生の医療サポート、家族と友人の支えがあった。感謝に堪えない。
 

病に負けない!!

 ネットを覗いて見ると間質性肺で苦しんでいる人のブログが沢山出ている。今後はこの間質性肺炎という病いと一生付き合って行く覚悟が必要だ。

 この病がこれからどうなるかなど深刻に考えないことにしよう。老いや死は誰しも避けることが出来ないなら受け入れることにしよう。間質性肺炎という病を受け入れて充実した余生を謳歌するという生き方をしようと思う。

 「スケッチをする旅」をしたくなっている。このキッカケを「スケッチの旅」にまとめてアップした。このため「短時間スケッチ」を修行中である。

五浦海岸への旅スケッチ


戻る



TOPに戻る