2015.9
 
   二ヶ月ぶりに韓国の会社に来てみたが、日本から訪韓予定の企業幹部が突然の日程変更で延期になったという、聞いてガックリしたがこれも仕方がない。

 最近の中国経済の減速で韓国企業の輸出が苦しくなりそうである。支援企業についても心配していたがTOPから話を聞くと全体としては現時点で対前年少しマイナスだがこれから挽回できるので前年並みには確保できそうだとの話があり、ほっとした。工場内を巡回したが機種によって稼動状況にバラツキがあるように見受けられた。現場のオバサンは相変わらず元気で頑張っていた。
工場の佇まいは変化なし 仕事量にバラつきがあった現場

 韓国人は日本人以上に誕生日を大切にしている、特に両親の誕生日は非常に重要だ。訪韓中に私の喜寿の誕生日(9月2日)になってしまったが日本営業部の若い社員は私の誕生日を忘れず近くのカルビ屋で誕生祝い会を開いてくれた。昔から知っているこの店の女主人が挨拶に出てきてくれて先ずはビールで乾杯してお互いの健康と元気で頑張りましょうと記念写真をパチリ。

 この店のセンカルビ(生カルビ)は小さく切ったものを電磁調理器の上のフライパンで少しずつ焼ながら食べる。でソウルでは見かけない庶民的なスタイルの店であるがカルビは柔らかく味も最高に美味しかった。今日は周りの韓国人の気配りに感謝した。

カルビ
店の経営者と記念写真
   1994年6月に冠動脈が狭窄し心臓の「バイパス手術」をしたのだった。退院時に主治医にまず尋ねたのは「あとどのくらい生きられますか?」という質問だった。先生曰く「それは難しいね、これからの貴方の生活次第だが・・まぁ〜7,8年は保証できるよ」とつぶやいたのを思い出した。

 あれから20年も生き長らえてきた、クオリティーライフ(生活の質の向上)という言葉があるがいつも心がけて生きて来た言葉だった。自身の努力もあるがそれ以上に家族や周囲の人達、韓国人の関係者の支えがあったからで感謝に堪えないし厚く御礼を申し上げたい。
手術してもらった自治医科大学附属さいたま医療センター
私の心臓バイパス手術

バイパス手術はこの図のように冠動脈の
三箇所の狭窄部が発生し、このままだと、
その先まで血液が行かなくなり呼吸困難
になるので血液のバイパス道を作り復旧
させる処置である。

このバイパスのために使用する血管は
二本は左足からもう一本は胸の奥にあ
るものを利用した。

手術時には心肺を止めて人口心肺を
使った。
 


 月曜日に会社に出社すると食堂で開く朝礼に出て欲しいいう、食堂には165名の従業員全員が集まっていた。オーナーから私に関する過去の話などの話があった後に要請もあったので1995年に手術をして日本企業を退職し、オーナーの要請を受けて顧問として毎月半分を滞在した以降のこの会社での思い出など話した。また今日まで元気で過ごせたのは会社の幹部や従業員の皆様の温かい支えがあったからでこの事について本当にありがたく深く感謝しますと話した。

 最後にオーナーから今までの会社への支援に対しての従業員全員の気持ちですと「幸運の鍵(純金製)」を頂戴した。幸運の鍵は退職などの記念にこの鍵を渡す習慣が韓国にはあるようだ。

朝礼でお礼を申し上げた 幸運の鍵

 夜はソウルのホテルでの屋外での誕生日のお祝い会に招待された。会社幹部から「おめでとうございます、これからも元気でいてください」と乾杯して祝ってもらった。裏方の演出だろうが演壇で歌っていた歌手から突然に名前が呼ばれ誕生日おめでとうという話が飛び出しビックリ、またこの歳になってケーキに刺したローソクを吹き消したりで私にとっては初めての少し大袈裟な誕生祝の日になった。

 
ホテルの庭で会社幹部の誕生祝会 
突然ステージに引っ張り上げられ話をしろと言われても・・・


 オーナーから上下の登山服、社長から水彩画用のスケッチブックの祝い品を戴いた。日本営業の女性、賄いのアジュマまでそれぞれお祝い品プレゼントされた、ただただ恐縮するのみである。戴いた「幸運の鍵」でどのような未来への扉を開けようか?


この鍵で悔いのない未来への扉を開けよう!!!



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