司馬遼太郎記念館を訪問

2019年5月

   55歳の時に心臓のバイパス手術を受けた時が人生最悪の時期で自宅療養中は歩く事と読書の日々を送った。この時に読んだ司馬遼太郎作品が人生を変える転機になった。坂の上の雲、竜馬がゆく、世に棲む日日、峠、国盗り物語、関ヶ原、燃えよ剣など次から次へと読んですっかりファンになった。

 司馬遼太郎記念館には訪問したかったので「高野山のひとり旅」の帰りに大阪に宿泊した。ホテルのある天王寺駅から近鉄「八戸の里駅」へは約30分ぐらいで到着、駅で降りると歩道に案内板が埋め込まれていて辿って行くと約10分ぐらいで「司馬遼太郎記念館」に到着した。

駅を出ると目に付いた案内板 入り口に 梟の城のイベントの看板
 この記念館は、司馬遼太郎氏の自宅があった場所に建設されたようで道路側のこじんまりした入り口があり左側の門柱には味わいある字体の自筆の表札があった。入館料500円支払い入って行くと新緑の雑木林になっていた。
 
雑木林の中を歩く
奥にガラス張りの建物があった
   庭から司馬遼太郎氏の書斎が覗けて万年筆や色鉛筆がそのままになっている筈だが、ちょうど光の反射で書斎の内部が見えなく残念。庭の右側の奥に「振り向けば又咲いている花三千 仏三千」と自書された花供養碑があった。

花供養碑
  司馬遼太郎氏が1996年に亡くなられ2001年に建築家の安藤忠雄氏が設計したコンクリート打ちっぱなしでガラス張りが目立つ建物が新緑の中の記念館だった。
 
光を大胆に取り入れたアプロ―チ
 内部に入ると上部から柔らかい自然光が部屋を照らす吹き抜けの部屋に壁一面の大書架に蔵書が目に飛び込んで来た。ここに2万冊が展示されているそうで、ここ以外に自宅に隣接している建物に約4万冊あるそうだから驚きだ。

 展示室に並べられた司馬遼太郎氏の著作とホールで常時放映されるビデオが見られる仕組みになっていた。あらためて司馬遼太郎氏の熱き「思い」を感じた。(内部は撮影禁止)

 この記念館は「ともに建て、ともに育てる」という想いから建設のさい、募金をよびかけたようだ、約8,400件の個人、企業、団体からの協力を得て開館したようで、寄附した方の名前が大きな銘版に刻まれていた。この募金の呼びかけは知らなかったが私の知人は寄付したようなので名前を探した、確かにご夫婦の名前が刻んであった。
募金に協力した人の銘板  自宅玄関前で受付の人に撮ってもらった
 この記念館は「見る」、というより「感じる」「考える」記念館という位置づけという記述がどこかにあったが、私には司馬遼太郎作品を改めて「学習する」場所だった。
 感じたこと
 司馬遼太郎作品を読んで感じたのは才能があっても性格によりその後の人生が変わるということだった。織田信長や坂本竜馬は、才能は優れていたが性格的に特異であった。狂人呼ばわりされた信長や武士なのに会社作って活躍しただ坂本竜馬など天才だったが環境に合わなかったから結果は不幸になった。

 このような人物の人生に非常に魅力を感じるのは一般人には理解できないその天才的であり異端性かもしれない。

 手術後の失意の底にあった時に自分の考え、行動、将来への生き方など、すべてを根本から変えてくれた司馬遼太郎作品に心が揺り起こされエネルギーを与えてくれたのだった。この記念館を訪問してその当時の思いがよみがえった。

 司馬遼太郎は「二十一世紀に生きる気にたちに」と題する本の中で「君たちは、いつの時代でもそうであったように、自己を確立せねばならない。−自分に厳しく、相手にはやさしく。という自己を。そして、すなおでかしこい自己を。・・・」と言っている。

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