大手電気機器製造工場の作業研究課の平社員であった時に上司の係長から新工場の企画を担当するよう指示があった。1973年(S48)の2月の時期は空前の受注量を抱え受注を消化するための新工場建設が話題になっていたがまさか自分がその新工場の企画を担当するとは思っていなかったので驚いた。
新工場は東北地方の2,3箇所が候補地になっているようだったがその後地元の要望が強い栃木県の大田原市に最終決定したとの話が伝わって来た。栃木県の大田原市?・・さてどこにあるのか地図を調べてみると東北線上に無いのだ!あわてて上司に場所の確認したら西那須野駅から数キロ東に入った場所だった。
3月1日(金)に開催された臨時係長会議で人事異動の発表があった、新工場の建設関係では建設事務所長の他に総務担当次長とそれに自分が技術担当次長としての発表があった。平社員から突然建設事務所次長の肩書きを戴いたことになった訳だがあまり感激はなかった。
本館に建設事務所分室が開設されると忙しさに拍車がかかったが特に体調も崩すこともなく毎日を過ごした。人事異動の発令の翌週には先ずは現地を見てこようと東北本線に乗って西那須野駅で降り工場建設の予定地を見学した。現地は一面の田圃でこのような米どころに工場を作ってよいのだろうかと疑問を感じた。市内の見学や既に当地に進出した他企業を外部から見て回った。S電子、T電子、Bタイヤ(黒磯)、Jミシン、・・印象として公害防止に力を入れているようだ、従業員送迎用の大型バスが5〜6台あり、体育館、食堂等の施設もあったので従業員募集が難航している話にも納得出来た。
|
|
工場が建つ場所に一軒の民家があった |
敷地に流れる農業水路 |
|
市内の旅館に宿泊、12時ごろまで先行部隊である従業員採用で2月からこの地に来ていた総務課の4名から状況を聞くが募集広告を出しても従業員女子が集まらないという、建設予定地に看板を建ててアピールしたいとのこと。募集に対しての広報はリクルートという東京の会社に依頼しているようだった。
リクルート社の派手な宣伝広告を出していたため既設企業を辞めて応募するような者があり行政から苦情を受けていた。そんな時に事件が起きた、地元の国宝級の格式ある寺を宣伝広告の写真に無断で使ったことに対し住職が激怒して、回収しなければ社長を訴えるような話が伝わってきた。しかしすでに新聞折り込みで配布済みだからどうするのかと思ったが本社からの指示で各部門から急遽人員を集まり手分けして近隣の各家庭を訪問し回収した事件は忘れられない思い出である。
2015年正月時点の工場遠望・・(1978年当時は一面の田圃だった) |
|
|