2017年6月 |
朝鮮半島の南端にある儒達山(ユダルサン:228m)に登るためソウル郊外にある光明駅から日本の新幹線にあたるKTX(韓国高速鉄道)に乗って木浦(モッポ)に出掛けた。(料金は往復約9千円、時間は片道2時間10分) この木浦市は代表的な観光地が儒達山(ユダルサン)地域で全体が公園となっている。また木浦市は日本統治時代に多くの日本人が住んだことから日本風の住居や仏教施設、産業施設跡など が多く残っているようで日本との深い絆が過去にあった場所でもある。 |
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儒達山(ユダルサン)登に登る 木浦駅に到着して直ぐに山に登ることになっていたので案内所で日本語の木浦市の案内パンフレットを貰って説明を聞いていたら、同行の韓国人二人はもう駅の外に出て行ってしまったので慌てて後を追った。 街の中を少し歩くと儒達山登山口の標識があり右折すると坂道の向こうにギザギザの山容が眺められた。坂道を登って行くと広場のような場所が登山口になっていた。ここまで20分ぐらいだから儒達山は駅から非常に近いところにあった。
広場の右側に露積峰(ノジョクボン)という大きな岩があった。壬辰倭乱(文禄・慶長の役)のとき、李舜臣(イ・スンシン)将軍が露積峰を藁で覆ったところ、これを遠くから見た敵が兵糧米が積まれていると勘違いし、恐れをなして退いたので少ない兵力で戦うことなく敵を退けたという逸話の説明を受けた。
石段を登ると李舜臣将軍の像があり登山道が続いている。儒達山は海抜228mなので誰でも登れる山だ。足元はきっちり整備されたコンクリ階段、石段、敷石の道を中年夫婦や子供連れの家族などが行き交っていた。 |
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このままこの道を行くと山頂には行けないようで引き返して案内板で確認したらやっぱり道が違っていた。石段の登山道に戻って登るにつれ、砲台跡や見晴らしのいい東屋風の休憩所など現れた。休憩所で韓国人のおじさんが「あそこに見えるのがセオウル号だよ」と教えてくれた。確かにかすかに黒ずんだ船体が遠望できた。 |
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気温が高くなり急な石段の登りでは汗だくになり途中の茶店でアイスを食べて一休みした時に駅で貰った案内書を眺めてみると一等峰と書いてあるが、現場のハングル表記では一等岩となっていた。 1等岩の手前に岩のピークがあり正面間近に岩峰群と向き合っているが、よく見ると手前の岩の下のほうに不動明王の磨崖仏が見えた。 この山はあちらこちらに照明器があったので夜間にライトアップされるようである。夏期には夜間も登れるようになっているようだ。帰国後にこのような「ライトアップされた写真」があったので紹介する。
ゆっくりと登ったので一等峰の頂上まで約1時間かかった。頂上からは木浦(モッポ)の街や多くの小島のある多島海の美しい風景が眺められた。
下山は途中からこの山の周りにあるトレッキングコースを歩いて登山口に戻った。この山全体がかなり整備されていて木浦の第一の名所であることが理解できた。 昼飯なしで戻ったので先ずは腹ごしらえと思い木浦では是非に食べてみたいと思っていた名物のホンオフェ(エイの刺し身)が食べられる食堂をタクシー運転手に聞いたらお勧めのの店を案内してくれた。 |
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ホンオフェ(エイの刺し身)を食す | ||||||||||||||||
案内されたフォンオフエの食堂は外観は古くさいし室内も明るくなかったが木浦地域の郷土料理のホンオフェ(刺身)を食べせる雰囲気があった。 発酵させたガンギエイに茹でた豚肉と古い発酵キムを重ねて口の中に入れて食べるのだが不思議に強烈なアンモニアの臭いが少なくなっり、一緒にマッコリで流し込むとなんとも言えない独特で微妙な風味の食べ物にななるのだ。ホンオフェ(刺身)と豚肉、キムチの三種類の物を会わサンチュやエゴマの葉に包んで食べるから韓国人はこれをサマプ(三合)と呼んでいるが好きな人は大勢いるが嫌いな人は絶対に食べない。日本人にはほとんど食べれないかも知れない。 |
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韓国ではホンオフェ(刺身)は高級食材として冠婚葬祭には欠かせない。中でも木浦産が最高級と言われているが独特の臭みを嫌う人が多いが私も嫌いでないし同行の韓国人も木浦に来たら食べてみたいと話していたので良かった。 |
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木浦総合水産市場 | ||||||||||||||||
木浦総合水産市場はアーケードになっており、新鮮な活魚や干物が並んでいたがエイの刺身も沢山ならんでいて独特の臭いも漂ってきていた。昼間の市場は少し寂しい感じがあったが活気付くのはやはり夜明け頃かもしれない、しかし店先に並んでいるものをみて歩くだけでも楽しい。 |
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旅の重要な要素に宿泊があるが山旅なので期待はしてなかったが・・一泊一人朝食付きで5万のホテルですと知らされたときは韓国特有の民宿的なような宿と思っていたが違っていた。ホテルの室内に入ると風呂はなくシャワーのみだが清潔で朝食も満足出来た。このような宿は日本からも手配が出来れば良いのだがと思った。
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景勝地のカッパウィ 景勝地のカッパウィという場所にタクシーで行ったが運転手と同行の韓国人との会話を聞き耳立てて理解しようと聞き耳をたてたが話していることが全く解らない、ハングル語の勉強不足を感じた。 岩(パウィ)の形が笠(カッ)をかぶった人のように見えることから付けられた名前が「カッパウィ」は長い歳月をかけて波と海流が岩を削って作り上げた自然の彫刻品であった。 |
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![]() この「カッパウィの伝説」の日本語説明書を紹介する |
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木浦近代歴史館1館(旧木浦日本領事館) 帰りはバスで駅に戻って近くにある木浦近代歴史館1館まで歩いて行った。国道1・2号線起点の碑がある場所の奥の高台に歴史館が建っていた。坂を登って行くと日韓の政治問題になっている釜山にあるのと同じ従軍慰安婦像があったが、横に設置されている石碑には「木浦平和の少女像」と書いてあった。 この建物は日本領事館として使用するために1900年1月に着工し、同年12月に完成したものでその後、韓日間の国際関係の変化により木浦理事庁、木浦府庁、木浦市庁、木浦市立図書館、木浦文化院などに使用されたようだ。 木浦の開港とそれに関連した歴史的、建築学的な価値がとても高い近代建築物のうちのひとつで、国家史跡(国家史跡第289号)として指定され管理されている。
展示内容は日本統治時代の木浦市内の模型などもあり日本語も併記されていて当時の木浦の歴史が理解できるようになっていた。古くから背後に控えた穀倉地帯からの年貢米の積出港として栄えた町で1897年に開港するとともに共同租界が設置され、日本人が多く居住するようになった。木浦で生産された陸地綿も船で日本へ運搬され木浦も発展したが日本人による日本のための歴史でもあったことが理解できた。
旅行をする時にその都市の歴史や文化を知るには、その都市にある博物館に行くといろいろと新しい発見がある。特に韓国の各地の歴史館など日本と関連の深い都市なので当時の韓国から見た日本の姿を知ることができる。木浦では儒達山に行き、この歴史館と旧日本人町が残るこの付近を歩くのも良いのではと思った。 また木浦は漁港であるから食べ物は「サマプ(三合)」と「焼きカルチ(太刀魚)」を食べなければと思っていた。昨日の昼食にサマプ(三合)だったので夕食は新鮮な「太刀魚一匹の塩焼き」だと思ったらここには無いと言われ、仕方がないので「カルチ ヂョリム(太刀魚の辛い煮込)」となってしまったがこれも美味しいかった。 午後2時のKTXに乗る予定なので時間があまりなかったので昼食はクッパ(スープご飯)を食べて駅に向かった。もっと遅い時間にすれば良かったかもしれないが予約を任せた以上文句は言えない。今回も一緒に行動してくれてありがたかった感謝!!
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