2019年7月 |
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野岩鉄道に乗って会津へ--(7月31日) | ||||||||||||||||||||||||||||||||
東武日光駅駅で聞いてみると下今市駅で乗り替えることになるが東武鉄道⇒野岩鉄道⇒会津鉄道⇒JR東日本と乗り継いで会津若松まで行ける乗車券があるというので購入した。 日光・鬼怒川エリアの周遊観光のため東武鉄道の新型特急「リバティ」が運行されている。ちょうど10時46分発の特急リバティ会津117号が下今市駅で10分後に接続されているので利用した。 新型特急「リバティ」は近代的な外観で内部も洗練されていたが車内販売は無しで事前に飲食物は準備する必要があった。下今市駅〜会津田島駅の区間は、乗車券だけで特急料金は無料で乗れるのだった。
野岩鉄道は、栃木県と福島県に跨る路線の第三セクター方式の鉄道会社で会津鬼怒川線として新藤原駅から会津高原尾瀬口駅(30.7km: 9駅)までである。 新型特急に乗ったので野岩鉄道の起点駅、新藤原駅を通過したがローカル電車のイメージとはかなり違ったが車窓からの景色はまさしく緑の山と渓谷風景であった。足湯や休憩所がある「湯西川温泉駅」に降りたかったがそのまま通過してしまった。福島の山奥を分け入るように走るのでトンネルが多い路線であるのは仕方ない。
野岩鉄道という名前はどこからきたのか、フリー百科事典「ウィキペディア」によれば社名の「野岩」は、栃木県の令制国名である「下野国」の「野」と、福島県の会津地方の明治初期に制定された旧国名である「岩代国」の「岩」からきているとあった。 電化しているのは会津田島駅までで切符は共通だが、会津田島駅で二両のワンマン気動電車に乗り換えた。車両の前部は運転席の横の窓から前方が見渡せるので見晴らしがよく撮影もできた。スピードが遅くゆったいとローカルな風景を楽しむことができた。
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単線なので会津下郷駅で上り電車との交差待ち時間に運転手に乗車券を見せて途中下車出来る駅を聞いたらわざわざ携帯電話で関係窓口に聞いてくれて「塔のへつり」と「湯野上温泉」が良いと勧められた。 次の電車に乗るまで一時間ぐらい待たないとだめだよと言いながら「これあげるから参考にして」と時刻表をくれた。田舎のローカル電車ならでの親切な運転手に感謝した。塔のへつり、湯野上温泉を過ぎると車窓風景も優しくなり、気が付いたら心が軽くなっているような気分になった。
木々の緑と遠くの山々の薄いブルー色、どこまでも続く線路とのどかな田園風景を見ていると心は穏やかになり、気づくとまわりの乗客も、ただガタゴトと走る電車に身をまかせていた。 家を出てから市バスーJR東日本ー東武鉄道ー野岩鉄道ー会津鉄道ーJR東日本、と乗り継いで約5時間の電車と気動車のひとり旅で途中で下車もせず会津若松まで来てしまった。
会津若松には午後2時に到着したので案内所でまだ訪ねていない「武家屋敷」の行き方を訪ねたら駅前から出ている「まちなか周遊バス」の利用を案内された。 猛烈に暑くなったがバスに乗って武家屋敷で降りた。ここでは会津藩家老の西郷頼母邸と重要文化財の旧中畑陣屋や会津 歴史資料館などを約1時間かけて見学した。特に西軍の城下侵入の際に留守宅を預かる家老の妻として「敵のはずかしめをうけず」の覚悟から、一族二十一人と共に自刃した姿が再現されていたのが印象に残った。
ホテル戻ろうかと思ってバスを待っていたら、バスがホテル方面でなく逆方向の鶴ヶ城方面だった。せっかくだから鶴ヶ城も見ようと乗ってバス停で降りたところにカフェがあった。涼しい場所で暑い中を武家屋敷で歩き回った時の疲れを癒した。 駐車場を通り公園内に入り鶴ヶ城を眺めた。戊辰戦争の舞台となった鶴ヶ城は2011年に黒瓦から、戊辰戦争当時の赤瓦に吹き替えられたそうで白壁が美しい姿だった。
夕食は近くの居酒屋で郷土料理だというニシンの山椒漬けとボウ鱈を肴にして末広という冷の地酒を飲んだが思い出に残る美味しさだった。冷酒をお替りするほど思い出に残った味だった。
何を食べるのも自由気まま。朝は何時に起きるなどと、考える必要がない。目的の電車が出発してしまったならば、次を待てば良い話。目的地を変えたって誰からもとやかく言われない。一人旅は誰にも気遣う必要がないが安全とか予想外の事態になったときのことも考えて置く必要もある。 |
五色沼ハイキング--(8月1日) | ||||||||||||||||||||||||
今日も暑くなりそうなので観光地を回るのは止めて猪苗代湖の湖畔を歩いたり湖で涼もうかなと思って会津若松から朝の8時17分発の磐越西線・郡山行の電車に乗った。 前席に座ったおばさんは郡山市に住んでいる人でひとり旅が趣味らしい。電車に乗っている間は北陸方面のひとり旅の話をしてくれたり、猪苗代湖も良いけど五色沼の散策も良いと勧めてくれた。猪苗代駅に着いた時には猪苗代湖でなく五色沼のハイキングをすることに気持ちが変わっていた。
時間はたっぷりあるのでコーヒータイムと思って駅前を歩いたが喫茶店は無し、食堂は時間は早くしまっている。仕方なく駅の待合室で持参の歴史小説の続きを読んで待つことにした。
ここには自家用車で数回来ているが沼を全て回るコースを歩く事がなかった。今日は天気も良い中裏磐梯ビジターセンターから裏磐梯高原駅まで五色沼をゆっくり見て歩く事が出来る。毘沙門沼の売店で磐梯餅を食べて一休みして10:40に出発した。
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資料によると五色沼は正確には「五色沼湖沼群」と言い、毘沙門沼・赤沼・みどろ沼・竜沼・弁天沼・るり沼・青沼・柳沼などの数多くの湖沼の総称で沼が五つある意味ではなさそうだ。エメラルドグリーン、コバルトブルー、ターコイズブルー、エメラルドブルー、パステルブルーと色が違う不思議な場所で「神秘の湖沼」と言われる。
コースには各沼付近にベンチがあるので木陰で休むことが出来る、一人旅の日本人のおばさんやバングラデッシュから5年前に来日し東京で働いている若い女性に話かけられたり思わぬ出会いが今日もあった。 沼の色、空の色、緑の濃淡など水彩画に描くとすればどんな構図でどのような彩色になるのか想像しながらベンチで休みながらこの感動を忘れないようにしようと思った。
旅先では行く先を訪ねたり、写真を依頼したりする時がある、ちょっとした気配りが、ちょっとした親切が、本当に大きなものに感じられる。出会う人に感謝の念を抱くことが多い、人は信頼と感謝の上に成り立っているのだとつくづく実感する。 沼の中で印象に残っているのは葉っぱの先が白くなっているコバルトブルーの「青沼」であった。この沼は強酸性で魚が住めず、風で葉が水にぬれると脱色され白くなっているのだった。
大自然の中を歩くと心が優しくなるような不思議な魅力をいつも感じる、上手く表現できないのがもどかしいが包み込む全てに心が癒されるように感じがするのだ。 |
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整備されたハイキングコースをいろいろな沼をゆっくり眺めたりして12時30分に桧原湖の湖畔に到着したので1時間50分かかったことになる。湖畔の食堂の冷えた生ビールがうまかった。 檜原湖の湖畔近くに裏磐梯高原駅というバス停があり、ここから13:35発のバスで猪苗代駅に向かい、猪苗代駅から磐越西線に乗って郡山経由で帰宅の途についた。 |
余談:ひとり旅での失敗 | ||
「五色沼トレッキング」が終わって猪苗代駅から再度磐越西線に乗って帰宅の途についた。サングラスを通常使っているメガネに交換しようと思い、リックの中をゴソゴソと探したが「メガネが入っているケースがない」・・無い、無い!、隣席が空いていたのでリックの中のもの全て出して調べたがやっぱり無い。 あれ・・サングラスに交換したのは何処だったけ?会津若松のホテルか?会津若松からの電車の中だったか?・・困ったことに思い出せない、何処かで交換したのは間違いないので、先ずはホテルに電話したが無しの返事、途中の郡山駅の忘れ物センターに立ち寄って聞いたらパソコン情報を見て届いてないとの返事だった。 もう諦めるしかないか・・新しいメガネを注文するかと思うと余計な出費になりガックリした。ひとり旅が傷心の旅となって自宅に戻った。自宅で今日はどうのような行動をしたのか冷静に思い起こした。 すると、確か猪苗代駅の待合室でバスを待っている時間に、歩く時にサングラスと思ってリックを開いたことがよみがえった。ひょっとして待合室に置き忘れたかも!夕方に再度忘れ物センターに電話した。そうすると黒ケースに入ったメガネは猪苗代駅に届いているという、最寄りの駅で手続きして欲しいとの話だった。アー・・良かった。
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