木曽路・ひとり旅

2019年9月

 
 地元の下野新聞の特集記事に「馬籠から妻籠への木曽路」という見出しで木曽路を歩いて旅する魅力を伝える記事を読んでから木曽路を旅をしたい気持ちになった。

 歴史を知れば旅が楽しく、学べば旅が豊かになるというガイド本を購入し、読んでみたら「木曽路はすべて山のなかである」からで始まる島崎藤村の代表作「夜明け前」に書かれている山深い木曽の絶景と各宿場の様子などが豊富な写真で紹介されていた。

 ネットで調べてみると木曽路の中では奈良井宿も江戸時代の面影を残しているということが解ったので「奈良井宿と馬籠宿から妻籠宿へ」という「ひとり旅」に出掛けることにした。
 
レトロで情緒あふれる街並みは思い出に残る旅になると期待して出発した
   奈良井宿--(9月19日)
   
 新宿から特急あずさ号に乗り塩尻駅で中央本線に乗り換えて奈良井宿駅で降りた。駅構内に居た案内女性から話を聞いて奈良井宿の案内図を貰った。駅から約1kmぐらいの街並が中山道随一の風情を残すと言われている奈良井宿になっていた。台風15号も去り秋晴れの天気になり気温が上がって暑い日になった。

質素な奈良井宿駅 
 
駅の傍に大きな道標が立っていた 駅前から眺めた街並み
 
 江戸から京までの中山道には69宿場があり、奈良井は36番目で木曽路に入る二番目にあたるところが奈良井宿である。「木曽路はすべて山の中~山を守り山に生きる~」という地域で平成28年に日本遺産に認定されている。江戸時代は中山道の難所と言われていた鳥居峠(1197m)を控えたところにある宿場で多くの旅人で賑わっていたようだ。

 案内書には「旅籠の軒灯、千本格子、2階をせり出させた出梁造り(だしばりづくり)、鎧庇(よろいひさし)など、江戸時代の面影を残し、一軒一軒がそれぞれ風格さえも感じさせている」とあった、これがそうだなと確認しながらゆっくり歩くと江戸時代に歩く旅人の気分になる。

台湾から来た女性 台湾女性に写真を撮って貰った
   台湾から来たという若い女性から写真を頼まれた。日本語が堪能でネットで調べて日本のこのような風景に魅力を感じてここに来ました、明日は長野の善光寺を見学する予定ですと話していたが若い人の行動力に感心した。

 宿場の中を歩くと観光協会のページにあった見覚えのある老舗の宿もあった。奈良井宿に宿泊したかったのだが8軒の宿に連絡したが全ての宿が予約で一杯という事で断られた。このような宿は「ひとり旅」には向いていないのかもしれない。懐かしいナショナルの看板をかけた電器屋、当時の物と思われる籠を店先に出している店などあった。

懐かしい看板のある店 当時の駕籠が置いてある
何故か人影が非常に少ない

 町の中には敵の侵入を防ぐ「鍵の手」や生活には欠かせない水場などを見ながら坂を登って行くと「鎮(しづめ)神社」という社が右手にあったので参拝した。 

 神社の隣に「楢川歴史民族館」というのがあり、入館してみると内部は思ったより狭いが木曽谷に暮らした人々の生活を偲ぶ数々の品物や生活道具が展示され当時の生活の息遣いが感じられた。車道に沿って階段が見えたがここが鳥居峠への入り口になっていた。

 
水場  鍵の手

 折り返して再度街並みを見ながら戻って、「木曽の大橋」に立ち寄った。国道からのアクセツ改善も兼ねて2011年に作られた橋だが木曽の檜で匠の技が生かされた太鼓橋で見応えがあった。奈良井の新名所になっていた。

鎮神社から歩いて来た奈良井宿を眺める
新名所の木曽の大橋
 駅近くの駐車場管理のおじさんの話では今日は客が少ない、土日には歩行者天国のようになるという。奈良井宿には泊まれないので、仕方なく中津川に行くため中央線に乗るのだが本数が少なく奈良井宿に留まれる時間も少なくなったのが残念だった。
(歩数計:13,140歩)

  馬籠・妻籠く--(9月20日) 
   一人旅は孤独だが旅先で出会う人には印象に残る出会いがある。今回の旅でも中津川市のホテルに近いカフェのマスターと会話した。栃木県の那須から来て馬籠までバスで行って妻籠宿まで歩こうと計画していると話をしたら、馬籠に行くなら「落合の石畳み」を歩かなくちゃ!と勧められた。

 色々な資料を出してバス停に「木曽路口」というのが途中にあるからそこでバスを降りて歩いて馬籠宿に行くべきだと教えてくれた。中津川駅前に停車中の馬籠行きのバスの運転手に話したら同じように「木曽路口」で降りた方が良い、停留所を教えてやるよとの返事だった。出会った人すべてが親切で暖かい、これが「おもてなし」ということだろう。

コーヒー店のオーナー サンドイッチとコーヒー
   
 駅前には馬籠行の外国人が集まっていた  勧められたバス停で降りた
 「木曽路口」のバス停で降りて近くの家で洗濯物を干しているおあばさんに挨拶したら、この色の付いた道通りに行くと馬籠に行けるよと教えてくれた。田舎の人は親切だ。(9:30)

 「歴史の道 中山道」という案内板があった、落合川を渡り十曲峠という少し急な坂道を登るようだ。曲がりくねった十曲峠への坂道を登りきると山中薬師(医王寺)という寺があったので旅の安全を祈願した(9:40)。

 先を歩くと中山道「落合の石畳」の看板があり入り口になっていて石畳は840mの長さで国指定史跡となっていた。石畳の道は多少歩きにくいが癒しの空間の雰囲気が助けてくれた。

時の流れが止まったように感じた石畳の道(10:00) 
 
 石畳の内の約70mは当時のまま残っている場所が途中の案内板にあった。当時のままの石畳が残るのは東海道の箱根とこの落合の2ヶ所だけのようだ。

 足を踏み入れてみると深い森に覆われた石畳の道はとても風情があり上を見上げれば深い森に覆われ足元は苔むした石。決して明るくないが時折、葉の間から差し込んでくる日光がとても神々しく感じた。

 
 当時の石畳が残ってい部分(70m)
 
 石畳の先を少し歩くと新茶屋という広くなっている場所に出た、右手の高台に駐車場があったが道は真っすぐ伸びていた。ここには一理塚、美濃と信濃の県境碑、島崎藤村が揮毫した「是より北 木曽路」の記念碑、芭蕉の句碑などあった。

 眺めていると、外国人家族が近づいて来たので、コンニチハと挨拶したら地図を出して「木曽路口」まで歩くというイギリスから来た家族だった。カタコト英語でバスが少ないと話したら承知しているようだ、ネットで調べてあるのだろう。二人の小中学生の子供2名にバイバイと言って別れた。(10:30)

藤村の「是より北 木曽路」の碑 子規の句碑

 新茶屋から10分ぐらい登ると展望の良い所に正岡子規の句碑「桑の実の 木曽路出づれば 稲麦かな」があった。ここは撮影スポットになっていて眼下に棚田や中津川市街が見えた。ここから馬籠宿まで1.1kmの案内板もあった(10:50)。

 
 遠くに中津川市を望む

 「中山道 馬籠宿」江戸へ八十里半、京へ五十二里半と書かれた道標が立っている馬籠宿に到着した(11:05)。歩き始めたのが9時半だったので約1時間半ぐらい坂道を登って来たことになる。

馬籠宿の道標 馬籠と言えばここの場所が有名

 「馬籠宿」は、木曽11宿のひとつで街道が山の尾根に沿った急斜面を通っていて、その両側に石垣を築いて家を造っていることから「石畳と坂のある宿場」というのが特徴らしい。

 確かに坂を登って歩いて行くとネットで見覚えのある水車と坂の道があった。旧街道の姿がよく残され、歴史を感じる石畳の道を行くと左側に藤村記念館があった。島崎藤村生誕の地であり小説「夜明け前」の舞台でもある記念館で藤村の残した数々の作品・資料・遺品を見て回った、藤村が子供時代の部屋も残っていた。

 
藤村記念館 藤村の子供時代の勉強部屋 
 
 脇本陣資料館ではこの馬籠宿は過去四回の火災殆ど焼けて現在の建物は明治以降に作られた建物だとあった、江戸時代当時の建物が多く残っているのは隣の妻籠宿になることも解った。
 
ここにも外国人 尾根の坂にある馬籠
 
 食堂に入って昼食の信州蕎麦と五平餅を食べながら・・さて、妻籠迄歩いて行くか、疲れもあるからバス時間を待って峠まで行きそこから歩くか考えた。
 
馬籠本陣裏手には当時の石垣が残っている 信州蕎麦とごへーもち
 
 馬籠宿から妻籠宿へ標高801mの馬籠峠を越えて約8km歩くが峠までの高低差200mmは辛いし体力も不安があったので馬籠峠までバスを利用して峠で降りてから約2時間歩いて妻籠宿に行くことにした。

 右側には切り込んだ谷の向こうに小説「夜明け前」に出てくる恵那山(標高2192m)の全貌が良く展望できた。

恵那山がよく見えた
 
妻籠を歩く--(9月20日)
 バスに乗って馬籠峠の峠の茶屋(13:40)で降りるとまこれから目指す妻籠方面の街並みがはるか下に見えた。ここでは二組の夫婦連れが一緒に降りた。
 
 山を抜けた先に開けた場所に「一石栃の白木改番所跡」という木曽から運搬される材木(白木)を取り締まるため設けられた番所だったところの跡に出た。ここには無料休憩所があり内部には囲炉裏も見えボランティアの若い人からお茶を勧められた。しかし妻籠迄の時間も気になるのでお礼だけして通り過ぎた。
峠の茶屋  妻籠宿がかすかに見えた
 ここからは降るだけ  無料休憩所
 
 男垂川の瀬音を聞きながら心地よい林の中を歩いて行くと「男滝女滝」へは右に折れてゆく案内板が有ったが時間が無くて見られなかったのが残念だった。
男垂川(おだるがわ)
  
 幾つかのクマよけの鐘が設置されていたので一つを鳴らしてみたらかなり響く音だった。下り谷の集落を過ぎ林の中、つづら折りの石畳の道を下ると「大妻籠」という卯達のある旅籠が昔ながらに残っている良い風情の家並みの集落を通過した。さらに心地よい山道を下って妻籠宿に到着した。(15:00)。
クマよけの鐘 石畳
   
 風情ある水車小屋 妻籠宿に着いた
 
 中山道69次のうち江戸から数えて42番目となる「妻籠宿」は、江戸時代末期の家屋が立ち並び、その趣は風雪に耐え時代を乗り越えてきた風情を色濃く残していた。

 
格子のある旅館  妻籠の街並み
 
 ここに住む人々の苦労があったようだ、明治にになり宿場としての機能が失われ衰退したが昭和40年代になり妻籠の街並みが見直され、町を守るため「売らない、貸さない、壊さない」という住民憲章を作って貴重な街並みを後世に伝えようとしていると観光案内所の人が説明してくれた。
観光客の居なくなった瞬間を撮った街並み

 出梁造りや堅繁格子など旅籠風の家並みが約800m軒を連ねている(案内書)。ゆっくり眺めていると峠で出会った夫婦連れに出会った。妻籠家並みを背景に記念の写真を撮ってもらった。

 
桝形の後を背景に記念写真 バス停への道を急いだ 

 曲げ物と言われる木櫛、五平餅、栗菓子といった「木曽もの」の店を眺めていたらバスの時間が迫っていた慌ててバス発着所に行くと大きな荷物を持った大勢の外国人達がバスを待って居た。外国人で満員のバスは南木曽駅に到着して今回の旅は終わった(15:40)。

歩数計:26,162歩

 ひとり旅で感じたこと
 二日間よく頑張った、82歳の脚に先ずは感謝したい!アクセツが良くなかったので3泊してもっとゆっくり歩くべきだったと反省した。歴史的な町並みと雰囲気を残した田舎の風情もあり「タイムスリップ」体感を味わえた。また多くの人々との出会いがあり思い出に残る旅になった。


バスを待つ外国人観光客
 今回の木曽路も4月の高野山も外国人の観光客の多さにびっくりした旅であったがこの状態は普通と考えるべきでこれからはますます増加するだろう。木曽路の深いヒノキの木立に囲まれた細道を歩くハイキングコースは森林浴が出来て外国人に人気の理由の一つらしい。

 南木曾に向かうバスの中で隣に座ったのはスペイン人とイタリア人で名古屋に住み、外国人向けの案内の現地研修に来た人だった。このような人からのSNSの発信が多くの外国人を引き付けているのかもしれない。


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