1592年豊臣秀吉の朝鮮出兵時(韓国では壬辰倭乱と呼ぶ)に加藤清正軍の先頭にたって戦った将軍・沙也可(サヤカ)はこの戦争に正義がなく朝鮮の礼の国の思想や文化を尊敬していたため朝鮮軍に投降・帰化しました。朝鮮の軍隊に新式訓練技法と銃製造術を伝え何回かの戦で勝利し大きな功績を残したので朝鮮王朝から金海金氏(キムヘ)と忠善(チュンソン)という名前を授けられました。
その後彼はここ友鹿里に住み住民と子孫の教育指導に専念し、72歳で亡くなりました。この将軍が金海金氏の始祖で現在でも金将軍の子孫約30世帯がこの村を住む一方、全国には7000余人の子孫がいるそうです。現在この村は日韓友好の拠点としての村作りを進めています。
朝鮮総督時代は一時実存しない人物とされたが近年になり歴史小説作家、故司馬遼太カ氏の著「街道を行くー韓(から)の国紀行」を発表されてから沙也可の実体が再認識され始めました。
1978に友鹿里を訪問した司馬遼太カ氏はこの著書の中で数々の資料調査の結果日本人名は「沙也門」に相違ないと書いています。
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